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2011
12/15
Thursday

文芸誌「俳壇」にて連載を続けて来た作品の中から加筆・修正し、書き下ろしを加え、一冊にまとめた短編集『自虐蒲団』(本阿弥書店)が刊行されました。

 

 

 

『自虐蒲団』に寄せて

本書は、『言葉師たち』というタイトルの元、「俳壇」に1年連載したなかから選んで並べ直し、書きおろしを加えたものです。主人公は、腹話術師やコピーライター、詩人、詩人の妻、俳人、女優、詐欺師など。「俳壇」という舞台があったために、俳句に惹かれる女性の物語や季語に興味を持つ女の子の話なども入っています。みな、迷いのなかにいて、曲がり角に立っているところは、わたしと同じです。

詩を書き始めた当初、言葉はわたしに、よろこびを与えてくれる「物」(ぶつ)でした。わたしは物と戯れ、飽きもせずに遊ぶ子供でした。その子供は、わたしのなかでまだ死んでいません。だから今も、詩を書くことは、困ったことに楽しいのです。

しかしときどき、自分がやっていることは、「虚妄」ではないかと思うことがあります。「詩」の力をわたしは疑ったことはありません。が、長く言葉に携わるうちに、わたしには、詩を扱おうとする、(わたしを含めた)人間の手つきに、深い疑念が生じ、複雑な感情が渦巻き始めました。

言葉を誰よりも大切に扱う人間。なのに、言葉を祝ぎとしてでなく、呪いや中傷に使い、人を深く傷つける。わたしも傷を負ったことがありますが、わたしだって無数の誰かを傷つけてきたはずで、わたしが考えるべきは、負わせた傷のほう。それに比べれば、自分が負った傷など、砂糖のように甘いものです。わたしには、ときどきしげしげと自分の傷を見直すという癖がありますが、その態度は、大切にしまっておいた大事な宝石を宝箱から取り出すような具合で、どこか自慢気、ほくほく、うれしいという感じなのです。これにふさわしい言葉を、わたしは自虐の他に思いつきませんでした。

戦いのような表現の場で、さらに先へ進むためにも、わたしにはここを通過する必要があったようです。とはいえ、表題作を初め、すべての素材、骨組みは虚構です。

今回もまた、多くの方々のお力を借りました。この場をお借りして、お礼を申し上げます。連載時から、装画を描いていただいたのは前田達彦さんです。ありがとうございました。(小池昌代)